『花嵐』抜粋


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「登校の途中で気になるものを見かけて、気になっていたから、帰らせてもらいました」
 学校の許可を取ったのか、と一瞬おどろいたけれど、まさかとすぐに自分自身でそれを否定する。おそらく彼女のことだから、自分で帰りたいと決めたから帰った、という程度の意味合いだろうと推測してみる。
「気になるもの、って?」
 嘉藤よりも先に言葉を返したのは、じっと傍で一条を見ていた小柄な女性の方だった。とても真剣な表情だった。
「黒く焼けた公園、それと青いシート」
 まるで謎掛けのような答えが返ってくる。どこか神秘的な雰囲気を持った一条の口から明確な発音で出てきたその答えは、まさしく神秘的なものだった。
「それって、もしかしてあれかな」
 大きくても小さくても、とにかく何でもいい、謎に対する正解を言い当てたい、という欲求は、いつも嘉藤の中にあった。それは長い年月をかけて繰り返すうちに次第に冷静なものに変わっていたのだけれど、今この瞬間の欲求はまるで子どものときと同じような、自分が一番になりたいと逸る気持ちそのままだった。
「そう……、それよ」
 嘉藤の指差した場所を、一条が認めて頷く。熊川も同じ場所を真剣な眼差しのままじっと見つめた。
 入り口から少し入った場所、公園の半分を占める庭園に入るかというベンチの置かれたすぐ傍に、古そうな一台の台車と作業服姿の二人の男性。共に少し怒ったような表情で足元を見て話し合っていた。
 そこの地面に黒く焦げた痕があるのだ。見つめる一条の視線は遠くからとはいえその地面の一点に据えられていて、それを覗き見ただけの嘉藤の心を畏れさせ、ぞくりと震わせるほどの執拗さを持っていた。怖いほどのその瞳に、嘉藤は惹かれるような興味を持った。
「地面の焦げあと……、ですよね」
 この寒さに負けた誰かが焚き火をしたのか、砂の地面が一部黒い紋を描くように広がっている。かわいそうにせっかく咲いていた周囲の花まで焦がされてしまっていた。
「あれ、焚き火じゃないかな。この公園、週末の夜中になると、いつもバイクに乗った若い人たちが集まってくるから」
「……そう、なんですか」
 無難に相槌をうつ傍ら、嘉藤は情報の中身よりも熊川がそれを知っていることが気になっていた。通りすがりに立ち寄ったわけではなく、この公園を利用するほどの、近辺で暮らす人なのだ。昨夜から行方をくらませているのなら、もうずっと遠くまで行っていてもおかしくないと思うのだけれど、その彼はそれほど遠くに行きそうに無い人物ということなのか。
「集まって話をするだけでも……、煩くてみんな困ってるんだけど、ゴミをそのまま残してたり、こうしていろいろ悪さをしていくから……」
 俯いて言葉を選ぶように話していた熊川は、口元に寂しそうな笑みを溜めてゆっくり顔を上げ、その笑みを保ったまま続ける。
「彼もね、出て行った時間がちょうど、そんな時間だったから……、変なことに巻き込まれていないか、心配で……」
 言葉も感情も表情も、何もかもがかみ合っていないような、とても不安そうな様子だった。
「行ってみましょうか」
「ええ」
 熊川が頷くよりも先に、嘉藤が提案するよりも先に、話を聞いていたのかいなかったのか、ふわりと風に乗るように軽やかに空気を気って一条が歩き出していた。熊川と顔を見合わせて、すぐにそのあとを追う。



 ベンチの傍で思案していた作業服の男性二人が歩み寄る三人に気づいて顔を上げる。不審そうな眼差しだ。そもそもが公園の異変を処理しようとしているのだから周囲のすべてが不審に見えるからの表情なのか、或いは平日の昼間に若者が三人歩いていることに対する大人の義務からなのか、と思ったけれど、もしかしたら先頭を歩く一条の所為かもしれないと思い当たる。そう仮定した瞬間にも嘉藤は先を歩いていた一条の頭越しに問いかけていた。
「おはようございます。どうしたんですか?」
「ああ……、夜中のうちに公園に悪戯したやつがいて……、その所為で、今日は子どもが怪我までしたんだ」
 気難しそうな顔をした人だったけれど、話しかけると親しそうな様子で言葉が返ってきた。意外に話し好きなのだ。それに加えて、嘉藤が心配していたようなことなど些事で全く気にならないほど、その事態で頭がいっぱいなのだろう。
 しかしただの焚き火の不始末に頭を悩ませているのかと思えばそれだけではなく、子どもが怪我をしていたなんて、深刻な事態ではないか。
「子どもが?」
「この台車さ。中に石が入っていたんだが、それに触った子どもが火傷したんだ。まったく、ここで焚き火して石を焼いて、この台車は向こうの、あの物置小屋の鍵を壊してまで入って中からとってきたのさ。夜中に何やってんだか……」
 作業服姿の男性が示す脇の台車に歩み寄ってみたけれど、今はもう何も乗っていなかった。さまざまなものを載せてきた台車の内側は煤けたように黒く汚れていて、そこからは何の情報も得ることが出来なかった。
「水を掛けてみたんだが……、焼け石に水、っていうだろう。まったく、本当に、困ったことをしてくれたよ」
 今日は平日である。朝から保育園へ向かう途中、少しだけと立ち寄った子どもが、台車に乗った石、という普段見ない物体に興味を示して触れたのだ。傍に居た親が慌てて冷やしたとはいえ、水ぶくれになるほどの怪我だったらしい。そしてその親がすぐに市に苦情の電話をいれ、またすぐに公園の管理業者まで連絡が回り、朝から実態の把握に努めているということだった。
「誰がやったのか、分かったんですか」
「それなんだよなあ。こっちも仕事だからいろいろ調べてみたんだが、まあ、何やったかくらいは分かっても、誰がやったかなんて分かると思うかい? それをあの連中……」
 ぶつぶつ呟きながら顔が曇るのは、これを指示した人間 か苦情を入れたという親にいろいろ言われたのだろう。
 それにしても「何やったかくらいは」分かるのだ。一体どれくらいの何が分かったのだろうかと聞いてみたかったけれど、そう正面から向かってしまうと、得られるかもしれない情報よりも被るだろう不満の声の方が大きいだろうと判断し、別の方面から切り出すことにした。
「それで、その、問題の石は今どこに?」
 石はうっかり誰かが触れてしまわないよう遊具などの無い公園の隅に置かれ、更にそのまわりには人避けの柵が施されていた。石と一緒に焚き火の元となった黒焦げの木材もまとめて置かれている。問題の石はどれも直径十センチにも満たないサイズのものばかり。様々な形をしてはいるけれど、そうしたように全体的な大きさ、重さはどれも同じくらいに統一してあり、誰でも運びやすいものだった。
 それにしても石を焼く、その意図が嘉藤にはよく分からない。焼くだけでも分からないというのに、更にはそれを台車に載せて、一体何をしようとしていたのだろう。それとも、もう、何かをしたあとなのか。
 考えをめぐらせながらじっと石を見つめる嘉藤の目の端に、何の気配も無く長い黒髪が風に舞う様子が映った。一瞬それに見惚れた隙に、横切った人影が石の傍に屈みこむ。
「一条さん……!」
 制止するのが遅かった。嘉藤の横を通りすぎて石の傍に座り込んだ一条は、もう素手で問題の石に触れていた。
「熱くないわ」
「……無謀ですよ」
 純粋な驚きと傍にいたのに止められなかった後悔だけではない、或いはそれらの強い感情が混沌となった結果なのか、嘉藤の中に何故か怒りにも似た気持ちが生まれていた。
 触れるだけ触れると満足したのか、一条はすぐに立ち上がった。ふと細められた思わず身動きが取れなくなるようなその強い視線が捉えるものを追った嘉藤は、そこに熊川の、一歩も動けない様子で右手を口の前に当てたまま声もなく震えている姿を見つけた。
 寒い、寒いと口癖のように言っていたけれど、いま震えているのは寒い所為ではないだろう。余程驚いたのか、或いは怖かったのに違いない。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ええ、ごめんなさい、……びっくりしたー」
 声を掛けると何度も瞬きをしながらゆっくりと声が返ってきた。落ち着こうと一生懸命なのだろうけれど、なかなか上手く行かないようだ。どうしてあげることも出来ない、と思った嘉藤は、ただ時間が解決してくれることを願い、そっと視線を逸らす。自分より先に熊川の動揺した様子を見つめていた一条はどうしているだろうと気になってそちらを見ると、あんなに鋭く見つめていた一条の興味は既に他に移っているようだった。今いる場所は公園の半分、庭園がある側のすぐ近くなのだけれど、その庭園にある池の辺りに視線を向けていた。公園を取り囲む樹木が葉を揺らしてさあっと綺麗な音を奏でる。
 強く、冷たい風だ。
 しかしそれは春の花の匂いを含んで心地良い。
「この石は、ここの物ですね?」
 同じ場所でうんうん唸っていくら考えても進みあぐねるとき、あえて他のものに思考を向けると、何故かふと、頭の片隅にないものとしながらも残していた元の懸案が進むことがある。嘉藤はその瞬間がたまらなく好きだった。とても興奮する。
「ええ、そうですよ。そこに土が軟らかくなってる部分があるだろう。花壇の周りにこう、ぐるっとね、石を並べていたんだ」
「石はこれで全部ですか?」
 そんな筈はない、嘉藤は即座に頭の中で否定する。しかし意識して自分を落ち着かせてから尋ねた。土が掘り返されている場所は公園を外部と区切る生垣のすぐ内側。花壇は道路に面した二つの直線に作られるようだった。そのすべての縁に石を配置しようと思ったら、間違いなくかなりの量になる。
「うーん、そういえば、足りない、かなあ」
 公園を管理している、とは言っても、隅から隅まで把握しているわけではないのだろう。あるいは花壇は別の業者が担当なのかもしれない。
 他の石はどこへ行ったのだろう。
焼いた石が台車に乗って公園にある意図は分からないけれど、それが台車を使ってどこかへ運ばれたものならば、その行き先で何か分かるという直感が嘉藤を急かした。
 改めてきらきら眩しい光の注ぐ白い砂地の公園をぐるりと一周見渡す。最初にベンチに座っていた老夫婦はいつの間にか姿を消し、野球をしたり公園内を走り回ったりしていた子どもたちはまだ同じ場所で続けている。立ち話をしていた母親たちも変わらずまだ話に夢中の様子だ。管理業者の人間は書類を作成するための状況を確認し終え、そこら中の写真も撮って満足した様子で撤収の準備に掛かるようだ。熊川はといえば既に落ち着きを取り戻していて、嘉藤に倣うように周囲をきょろきょろ見回していた。
「へへ」
 必然的にぴたりと目が合った熊川は、口元を綻ばせふにゃりと微笑む。本当に人懐こい人だと思いながら、とにかく落ち着いてくれてよかったとも思い、条件反射のように嘉藤も微笑み返した。
「誰が何でこんなことするんでしょうね」
「え……、だから、あれでしょ。いつも来る不良たちが悪戯して帰って行ったんじゃないの? 他に何が、疑問なの?」
 ぽろりと零した疑問は思わず口にしただけだったけれど、同意以外の言葉が返ってくるとは予想していなかった。とても不思議そうに、また、納得のいかない様子で問い返されたので、嘉藤はもう一度、今度は丁寧に言葉を選ぶ。
「うーん。こんな、意味の分からないこと、するかなあ?」
「意味?」
 問い返すその口調、少し乾いたその表情はまるでその不良たちが無意味な行動をするのが当たり前と言っているようで、何となくだけれど少し意外な気がした。



 そのときふと風向きが変わったのか、公園に入る前に感じた沈丁花の香りがどこからか漂ってきた。そしてほんの少しだけ、じゃりりと音を立てて砂を踏みしめる音に視線を向けると、思い当たることがあるとでも言うような迷いのない足取りで、一条が庭園へ向かう後姿が目に入った。何かを期待させるその強い足取りがとても気になって、嘉藤はすぐにあとを追った。
「どうかしましたか、一条さん」
「これよ」
 庭園は入ってすぐに円く整えられた躑躅などの植え込みが幾つも並び、その中をうねるように水路が作られている。一条が向かったのはその奥、一段高い場所との境に作られた池の前だ。水は流れる水路から自由に引き入れられるよう仕切りで区切られている。今はその仕切りは下りていた。
「石が……」
 一条が示し、見下ろす池には落ち葉がたくさん浮かんでいて中が見えにくいのだけれど、その一角には周囲とは明らかに様子の違う、あまりに不自然な形で乱雑に石が盛られている箇所があった。その石は先ほど見た大きさとほぼ同じものばかり。そして台車に残されていた石よりもずっとたくさんここにあった。また、池の右手には青いビニールシートのようなものが沈んでいる。遠目から見たときは分からなかったけれど、とても綺麗な池とはいえない状態だった。
「これ……、これも、もう、冷めてる?」
 そっと小さな声で熊川が問いかけてくる。その言葉にはっとした嘉藤はすぐに屈みこんで手を池に入れてみた。池の水温は少しだけだけれど高い。
「まだ少し温かい、ですね」
 これだけ大量の石を投入してあるのだ。もしこれがじっくり焼かれていた石だったら、投入直後はどのくらい熱かったことだろう。  それにあの右手の、光が水面に映り込む加減で今の角度ならよく見える、沈んだ青いビニールシート。あれは焦げあとと一緒に一条が気にしていたものではないのか。同じように屈んで池に指先を浸けていた一条は、ただじっと手元の水を凝視していた。声を掛けようかと思ったけれど、軽い足音が幾つか近寄ってきたので、そちらを振り返った。



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読みきり短編一本です



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