不可視の匣

Chapter 1 ; 冷たい春





 夕闇の迫りつつある山を吹き降ろす風がこんなにも冷たいことを、平野生まれ平野育ちの宝来ははじめて知った。もう春だというのに未だ真冬かと疑うほどの、体の底から震えるほどに冷たい風だった。下手に歩き回るよりも校門でじっとしながら出てくる人間を確認していく方が効率的だと何時間も同じ場所で座り込んでいるからだろうか。こうして夕闇が迫る時間になっても目的の人は現れないのだけれど、早い段階からここでじっとしてるのだから逃しているとは考えにくいと思っている。出て行く人の気配があるたびに期待して顔を上げて、そのたびに違うことを確認して、首を振る代わりにまたどこか違う場所に視線を彷徨わせてきた。
 動きたいな、動いたらあたたかいだろうな、と実行するはずも無いことを頭の中に言葉として生み出して考えてみる。背にした金網の向こうからは、まだ運動部の生徒がはりあげる声が聞こえてきていた。あの中に混じりたい、訳ではない。ただ、まだこうして人が残っているのだから、待ってみる価値があるということが重要だった。
 徐々に暮れていき劇的に変化していく空を眺めていると、また校門から人が出てくる気配があった。今までたくさんの人が出て行くのを確認したのと変わらない気持ちで顔を上げる。
「あ」
 ずっと同じように期待して、通ったたくさんの人の数ほどため息を吐いてきたのだ。待っていたのは自分なのに、気配に顔を上げたのは自分自身なのに、目的の人がそこにいたからといって驚くことは無いのだけれど。驚いたついでに立ち上がったまま声の出ない宝来に対し、校門から出てすぐの場所で立ち尽くしている宝来に気付いたその人は、足を止めて一緒に歩いている人にとても普通な様子で話しかけている。
「宝来明良、……君だ」
「のようだな。なるほど、こうきたか。うん。話が早いなあ、相馬」
 最初の驚きが過ぎ去り少し冷静さを取り戻した宝来は、苗字は名乗ったけれど名前は名乗った覚えが無いのにどうして知られているのだろうと小さな疑問が頭の隅に浮かんできた。また、隣に立つ人物もどこかで見た顔だ、それも最近に、と思うのだけれど、それ以上の記憶は辿れなかった。どちらの疑問も答えを出せないというよりも答えを積極的に求めるだけの強い気持ちが湧かないのは、また会えたことの満足と、ひとまず今までなかなか知ることのできなかった当人の名前を知ることができて安心したからだった。
「えと、相馬、さん? 良かった」
 微笑みながらあくまで自然にと声を掛けたけれど、睨むように宝来を見つめるだけの相馬は答えない。硬く結ばれた口元もまっすぐに睨む鋭利な視線も、周囲からどう思われどれだけ傷つけられようとも己を崩さないという潔さを持っていて、それが宝来のうちに燻っているものをすべて払ってくれるようだった。しかし己を崩さないでいるということは容易いことではない。それもこれだけ繊細そうな瞳を持つ人ならなおさらだろう。それすら分かっていて、でもそういう生き方しか選べないのだろう。
 以前見たときにも思ったけれど、会ってそう時間が経ったわけでもないのに、そうしたものが宝来の胸にどんと伝わってくるのは何故だろうと不思議に思う。こんな風に感じるのはあるいは宝来だけなのかもしれない。普通に見れば、いつも何かに挑戦するように鋭く睨んでいて反抗的だと心を逆撫で、あるいはからかい半分でも手を出したくなるだけなのではと思うのだ。何で自分はこんな風に思うのか。何がそうさせるのか。似たような性格でもなさそうなのに。もしかしたら生きる根本のところで何か同じ部分があるのだろうか。
「わざわざ相馬を待っていたのか? 新入生はかなり早い時間に終わったはずだけど……」
 黙ったままの相馬に代わりに、奇特だな、と隣の人が笑うようにして口を開く。自信に満ちたとても強い、安定した表情だった。自然体でありながらどこにも隙を感じられないその様子は、周囲に安心を与えるに足るものだけれど、それが却って宝来には敵対心に近いものを抱かせるのだった。
 安心を与えたい相手は相馬なのだ、と直感する。
 危うく生きる相馬の隣にあって、この男はそれを相殺するだけの力があるのだ。それを自覚している、そんな動きに見えた。相馬自身はそれを知らなくても、強い視線で周囲を警戒する相馬はその分傷を受けやすいのだろうし、それをこうして守っているつもりなのではないか、と思うのだ。これでは確かに宝来も手が出せない。
「あの、俺、相馬さんと二人で話がしたいんですけど」
 邪魔だとそう告げてみる。ここまではっきりと言われたらどうするのだろうと、若干興味が沸いた。案の定、僅かに表情を曇らせながら、それでも判断は相馬にゆだねるようだった。
「あー……、どうする?」
 ずっと会話に加わらないながらも視線は離れず宝来を見つめていた相馬は、隣からそう聞かれてようやくその視線を動かした。どんな答えが来るのかとドキドキしたけれど、相馬は考える余地も無いような即答を返した。
「今日は疲れた。折角待っててくれたみたいだけど、もうこんな時間だし、急がないのならまた今度でいいか?」
「ええ」
 にこりと答えたつもりだったけれど、少し残念ではあった。しかしあっという間に沈んだ太陽は既にその姿を隠し、周囲は乏しい外灯の明かりのみの寂しい様子だ。それに朝会ったときは具合も悪そうだったのだと思い出す。もう会えないかもしれないと思っていたのにこうして会うことができて、そのうえ、また今度と言ってくれるのだから、それだけでも十分だろうと納得しかけていたら、その様子が不満そうに見えたのか、相馬はさらに言葉を継いだ。
「三年の相馬成紀だ。授業中以外はあまり教室にはいないかもしれないけど、適当に捜してくれ。……ここまでこんなところで待っていたんだ。それくらい、してくれるんだろう?」
 そう言った相馬の、今までずっと硬く閉じていた表情が、鋭く睨んでいた瞳が、ふわりと解けるように笑った。なんだこれは、と宝来はその意外さに驚愕とも感嘆ともつかない衝撃を受ける。それは詐欺だ、と訴えたくなるような、純粋な笑顔だったのだ。冷たい風の中に、ふとまだ咲いていないはずの桜の花の匂いがするような気がした。
「じゃあ、明日にでも伺います」
 勢いで答えた宝来を残し、二人は先に坂を下りて歩き出した。
 同じ道ではあったけれど一緒に帰る気はなさそうだと判断した宝来は、少し離れて二人の後姿をぼんやりと視界におさめながら距離を一定に保つ速度で歩き始める。いろいろあった一日を振り返るのには、こうして歩きながら考えるのが丁度良い。見慣れない景色と人の後姿を視界に入れつつ、そういえば最初に相馬に会ったときからずっと抱えていた後悔はもういらないな、と思って微笑んだ。あのときは、呼び止めて掴まえて話を聞いてあげなくては、この人は生きていけないのではないかと感じたのだ。そうするだけの迫力を、滲むように切実な生への希求と、同時に潜む死へ向かうほどの深い絶望を、あのとき宝来はしっかりと相馬の瞳の中に感じたのだ。呼び止めて掴まえて話を聞けなかった後悔はもういらない。
 生きていたのだから。
 しかし、あの瞳はそのまま。
 今度は後悔をしない選択をするのだ。



 朝からずっと空は薄い雲が全体を覆っている。前日の夜に山を吹いていた冷たい風は殆どあたたまることがなく、寒い一日になりそうだった。まだ慣れない感覚を愉しむように時間ギリギリにのんびりと教室へ入ると、待ち構えていたように高槻が寄ってくる。
「おはようだけど遅いよ、宝来」
「なんだよ、用があったのか?」
 鞄を置いてから、教室の前方の壁に掛けられている時計を確認する。ギリギリとはいえ、まだ五分くらいは余裕があった。殆どの生徒が既に教室に入っていたけれど、まだそれぞれにクラスに慣れない様子で、小さく固まるかひとりで席に着く姿が目に入った。
「えっとー、放課後、一緒に勉強しようって……、あ、そんな冷たい目して、ひどい。いいじゃん、俺、本当にやばいんだって」
 なんだかんだ言いながら高槻は明日からのテストを気にしていたのだろう。勉強はひとりでするものではないのか、誰かと一緒にやったって気が散る以外に何か役に立つことがあるのだろうか、と少し疑問を覚えるのだけれど、そうすることでやる気が出る人もいるのかもしれないのだから一概に否定はしない。けれど、高槻の誘いに答えられないのはそういう理由ではないのだ。他にすべきことがあるからなのだ。
「ああ、いや、勉強がどうこうってわけじゃなくて……。ちょっと、人捜しをな」
「……って、昨日は結局駄目だったの?」
 ちらりと時計を気にしつつ、高槻は身を乗り出して聞いてくる。昨日は先に教室を出た宝来が門の前でぼんやり待っているのを見つけると驚いたように寄ってきたので、少しだけ話をしたのだ。捜している人がいて、ここにいたらそのうち出てくるから待っている、と言ったらとても驚いていた。
「いや、会えたよ。名前も聞けた」
 そのときの嬉しさを思い出して微笑んで答えた宝来だったけれど、高槻は反応せずに暫くじっとそんな宝来を見つめるばかりだった。もっとその後に話が続くのだろう、と待っていたようだけれど、宝来の表情からそれ以上続きが無いと知ると、力の無い、とても情けないような妙な表情をするのだった。
「……え、それだけ? 他には?」
「なんだよお前、本当に揉め事おこすかと思ってたのか?」
 何だか不満そうな高槻の様子に、昨日から続いていた楽しさまで全部を否定されたような気分になった宝来は、そうして不機嫌になってしまうのは余裕が無い証拠だとあえて余裕ぶって胡乱な表情で、机に突っ伏す高槻を見下ろした。
「いや別にそういうわけじゃないんだけどさ。……だって、名前? 名前だけってことはねーだろ普通。あんな待っててさ」
「時間も遅くてさ、具合も悪かったみたいだし、今日また会うからいいんだよ」
「ふーん」
 とても不思議そうに宝来を見つめて、納得したのか納得できないのか分かりにくい返答をした高槻は、再度時計を確認して立ち上がった。既に周囲の殆どは席に着いている。慌てて自分の席に向かうかと思った高槻は、しかし留まり何事か考えながら口を開いた。
「それはいいけどさ、うーんと、やっぱ何があったか、気になるよ。そのうちでいいからさ、いつか教えて欲しいな」
「うん」
 今までとなにひとつ変わらず生活していくのならいいのだけれど、きっとそうはならないだろう。そうしたときに、高槻にもまた迷惑を掛けるのかもしれなかった。だとすればどう説明していいのか分からないと悩んで終わるのではなく、悩んでいることも含めてゆっくりと話すべきだろう。そうしたものも含めてじっくり聞いてくれるだけの柔軟性を高槻は持っているのだと思うから、信じて話してみよう。穏やかに白く霞んでいる窓の外の景色をぼんやりと見つめながら、そう思っていた。
 高槻が席に着くか着かないかという頃に教室に入ってきた担任は、今日も余分に張り切って見えた。気が弱そうに見えるのに、やる気だけはたくさんあるようなのだ。昨日、入学式の前後で少しだけ話を聞いただけなのだけれど、これから先が少し不安になっていた。授業が不安、なのではなく、この担任の精神がいつまで続くだろうという不安だ。案の定、今日は授業らしい授業が無いとのことだった。かなりの時間を費やして自己紹介をさせられたかと思ったら、残りはすべて明日のテストのための自主勉強になってしまった。高槻は大喜びだろうと思っていると、早速、ぼんやりどうしようかと考えていた宝来のところへやってくる。後ろに二人の女の子を連れて。
「こいつ、宝来。頭いいから、みんなで教えて貰おうって、よろしくな」
「……」
 いつの間にか仲間を見つけたのだ。二人の女の子は名乗るとすぐに椅子を寄せて、高槻も交えて楽しそうに話し合いながら勉強の準備を始めている。明日からのテストのことだけでなく、何の部活に入るのだとか、話題は突拍子も無く飛んでいく。高槻らしいペースに自然と微笑みながら、宝来はまたぼんやりと別のことを考えながら窓の外を見つめるのだった。



 太陽の位置はすっかり変わってしまったけれど、朝の通学時に感じた外の冷気は今もまだあたためられることなくこの窓越しにあるのだろうか、と相変わらず薄曇のつづく窓の外を眺めながら思う。頑健な壁や頼りない窓に空気は隔たれ、その窓越しから入り込んでくる曇り日の薄い日光にあたためられているのか、学校内にはほんのりとぬるい空気が漂っているようだった。入学直後の慌しさと緊張感に支配され、活気溢れる一年の教室が集まる階と違い、階段をぐるぐると昇った先にある三年の教室の並ぶ廊下はどこか落ち着いたざわめきが満ちていた。
「西野先輩」
「おお、宝来。久しぶりだなあ」
 まず会いに向かったのは中学時代に仲の良かった先輩だ。昼休み中の突然の訪問にも大げさなくらいの笑顔で迎えてくれた。おおらかで何事も気にしない性格で、交友関係も広いのだ。授業中以外は殆ど教室にいないと言っていた相馬がどこにいるのか、無闇に捜すよりもこの人に聞いた方が早いだろう、と思って早速聞いてみると、西野はとてもびっくりしたというような表情を子どものように素直にその顔に浮かべ、即答せずに意図を探るようにして宝来をじいっと窺うのだった。同じ学年なのだから知っているだろう、とは思ったけれど、それにしてはおかしな反応だった。
「……相馬成紀? ってもしかしてもしかしなくてもあの相馬のことだよな」
「あのって何ですか」
 この学校では「あの相馬」で通じるほどの有名人なのか、と返してしまいそうだった。はっきりとしない西野の言葉に少し苛立っている、と自覚した宝来は反省することで落ち着きを取り戻す。
「えーと、今、生徒会の副会長か何かじゃなかったかな。その辺りはあやふやだけど、じゃあ多分、隣にいたっていうのは黒崎だろ。大抵一緒にいるはずだから。黒崎は生徒会長だよ。入学式のとき見なかったのか?」
「あ」
 指摘されてぼんやりとその姿を思い出す。そういえば最近どこかで見たような顔だと思ったのだ。しかし名前が黒崎だとか生徒会長をやっているだとか、宝来にはあまり関係が無いのだった。気に喰わない存在である、ということだけ認識していれば十分。それよりも今の問題は、相馬がどこに居るのかということだ。
「で、相馬に会って何がしたいわけ?」
 眉間に皺を寄せ、難しい表情をしながら問われるのだけれど、もともと愛嬌のある西野がするその表情はどこか間が抜けていて面白い。しかし問われた内容は直感のみでひたすら行動する宝来の中にある曖昧な部分をまっすぐに指摘するもので、改めて考えてもすぐには答えの出ないものだった。
 単純に言えば、ただ会って話がしたい、というだけ。
 どうしたいかと問われれば、宝来の心を騒がせるあの瞳をどうにかしたいのだ。
 後悔しないためにはどんな選択をすべきだろう。
「話を……、友だちになりたい、かな?」
 曖昧なままの返答は一笑に付されるかと思ったけれど、西野は唸りながらひとしきり眉間の皺を深くすることに注力するように表情を変化させたあと、視線を宝来から外して何事か思案しているようだった。厭きれた、という表情ではないけれど、唐突に馬鹿なことを言い出した後輩にどう対処しようかというようには見えた。
「友だちに? 相馬と? それは……、いや、うん」
「何ですか。もったいぶらないで話してください」
 はっきりしない物言いに焦れるように机の上に身を乗り出すと、西野は周囲を憚るように少し低い声で、しっかりと宝来に視線を合わせて言うのだった。真剣な表情だった。
「噂、なんだけどさ」
 珍しいほど真剣な表情にどんな話が来るのかと身構えていた宝来は、噂と聞いてふっと張り詰めていた気が抜けた。そうしてたかが噂と思ったのが伝わったのか、はじめは話すこと自体を躊躇っていたはずの西野が今度はむきになって話そうとするのだった。
「いろいろ良くない噂があるから、ここで止めなくて何かあったら後味悪いし、一応、な」
 たかが噂、と思いながらもそれが良くない噂となれば穏やかではない。宝来の求めたものの答えとはまた違う話のはずだけれど、聞いておきたい気もするし、聞いてはいけないことだとも思った。そう考えあぐねている間に西野は勝手に話を進めていく。
「一年の頃の相馬は、度々、いろんなところに痣をつくってた」
「え?」
「暴力沙汰、って噂だけど。二年になったら少なくなったけど、だから、今の三年はみんな知ってるし、二年だって知ってるんじゃないかな。良くそれで生徒会役員になったな、って思ったけど、そこはあの黒崎がいろいろ駆け回って、全部、転んで怪我したとかそういうことにしてしまったらしいぜ」
 その姿を想像して宝来はぞくりとする。腹立たしいような悔しいような、自分でも良く分からない混沌とした感情に支配されて動けなかった。相馬のあの鋭い眼差しを思い出す。敵を作りやすいだろうとは思っていたけれど、そんなに酷いとは思っていなかったのだ。
「ちょっと西野君、駄目だよ一年生にそんな嘘おしえちゃ!」
 どことなく暗い雰囲気を打ち破るような勢いで声を掛けてきたのは見知らぬ女生徒だった。全体的にふっくらした、優しそうな雰囲気の人だ。実際に叩かれたのではないけれど、西野は殆ど叩かれたような気持ちのようで、身体を揺らせてそれまで真剣だった表情を間の抜けたように崩していた。僅かに口ごもったあと、ため息を吐きながら「倉田だ」とこっそり名前を教えてくれた。
「……嘘じゃねーだろ」
「相馬君は優しいもん! だからみんな僻んで苛めるんでしょ。西野君の馬鹿」
 座る西野を見下ろすというよりも睨むようにして、見ているほうがいっそ爽快になるほどきっぱりと言い放った倉田は、言うだけ言うとそのままひらりと身を翻して教室の奥へ向かった。待っていたらしい友だちと合流した倉田は、何を言っているのか分からないけれど顔の前で手を振りつつ笑顔で席に着いている。いつから聞いていたのだろう、と思い返すけれど、西野が噂の話を持ち出した頃はまだ誰も傍にいなかった。それ以降、悪い噂と聞いて宝来の注意が周囲から逸れた後だろうと想像する。
「馬……、馬鹿はねーだろ……」
 心外だ、と言う西野だけれど、それを訴える相手が消えてしまったあとではどうしようもなく、その声には力も無い。
「やさしい、って言ってましたね」
 それは宝来は感じたことの無いものだ、と思ったけれど、昨日帰り際に会ったとき、最後に宝来に声を掛けたあれは優しさのひとつなのかもしれないと思い直す。驚くほど純粋な笑顔に会ったことも。あれはきっと相馬の素の笑顔だろうと思うのだ。そうした笑顔を普段は消し、いつも鋭く周囲を威嚇しているように見えるのは、以前感じたように己を貫くためというのもあるのだろうけれど、そうしなければならないような状況の中にあるからということもあるのだろう。
「うん。倉田は相馬と同じクラスになったことがあるから、かな。俺はまあ、あまり相馬と話したことが無いから、実際その辺りはよく分からない。相馬に否定的なヤツも多いけど、ああやって肯定的なのも多い。両極端な意見がどちらも多くあるってことは、まあ、それだけ目立つ存在ってことなんだろうけど、どうなんだろうな。俺は正直、相馬がそんな、目立つようなヤツには見えない。どこにでもいる普通の高校生にしか見えないんだけどな」
 あのまっすぐに相手を貫く瞳は、その鋭さで相手の心を直接抉り、その中にあるものを強引に引き出されるような気がするから、見る人それぞれの中にあるものによって全く違う印象を与えるのだろう。
 例えば倉田が見たのは優しさで、西野が見たのは普通の高校生。宝来が見たものは、こんなにも興味をひいてやまないのは、共感、だろうか。
「それでも、友だちに、なりたい?」
 じっと瞳を見て問われて、脳内はいろいろな感情に混沌としながらも、その答えだけは間違いなく揺るがないのだと、改めてしっかりと確信できた。
「はい」
「分かった。相馬なら昼休みはいつも黒崎と一緒に屋上だよ。放課後は生徒会室にいるか、その用事で校内のあちこちにいるから、まあ、まずは生徒会室で予定を聞いた方が利口だな」
 教室ごとに同じ位置に備え付けられている時計を確認する。昼休みはまだまだ時間が残っていた。黒崎と一緒というのが気になるけれど、放課後に捉まえにくいのなら今が一番だ。西野に簡単な礼を言うと、宝来は屋上へ向かうべく早速その教室をあとにした。







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2007/9/17 雲依とおこ




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